私は蒲田が焼野原になるまで毎日碁会所へ通勤していた。
虱のうつる難はあったが、ともかく、私は、読書と、碁会所だけが生活で、たまに女とあいびきしたというだけだ。
二十三、四の青年で、見るから病弱そうなのが毎日この碁会所へきていたが、田町辺の工場の事務員で、ひどい反戦思想をもち、徹底的に軍の潰滅と敗北を信じ、共産主義を愛していた。
私は蒲田が焼野原になるまで毎日碁会所へ通勤していた。
虱のうつる難はあったが、ともかく、私は、読書と、碁会所だけが生活で、たまに女とあいびきしたというだけだ。
二十三、四の青年で、見るから病弱そうなのが毎日この碁会所へきていたが、田町辺の工場の事務員で、ひどい反戦思想をもち、徹底的に軍の潰滅と敗北を信じ、共産主義を愛していた。