咢堂の世界聯邦論がこの根柢から発展していることは、一つの思想の重量であって、日本の政治家にこれだけの重量ある思想の持主はまずないだろう。
この重量は人間性に就ての洞察探求から生れるもので、彼の思想が文学的であるのも、この為だ。
けれども、ここに問題は、部落的、藩民的、国民的限定を難じ血の一様性を説く咢堂の眼が、更により通俗的な小限定、即ち「家庭」の限定に差向けられていないのは何故であろうか。
咢堂の世界聯邦論がこの根柢から発展していることは、一つの思想の重量であって、日本の政治家にこれだけの重量ある思想の持主はまずないだろう。
この重量は人間性に就ての洞察探求から生れるもので、彼の思想が文学的であるのも、この為だ。
けれども、ここに問題は、部落的、藩民的、国民的限定を難じ血の一様性を説く咢堂の眼が、更により通俗的な小限定、即ち「家庭」の限定に差向けられていないのは何故であろうか。