あまり自分勝手だよ、教祖の料理は。
おまけにケッタイで、類のないような味だけれども、然し料理の根本は保守的であり、型、公式、常識そのものなのだ。
生きてる人間というものは、(実は死んだ人間でも、だから、つまり)人間というものは、自分でも何をしでかすか分らない、自分とは何物だか、それもてんで知りやしない、人間はせつないものだ、然し、ともかく生きようとする、何とか手探りででも何かましな物を探し縋りついて生きようという、せっぱつまれば全く何をやらかすか、自分ながらたよりない。
あまり自分勝手だよ、教祖の料理は。
おまけにケッタイで、類のないような味だけれども、然し料理の根本は保守的であり、型、公式、常識そのものなのだ。
生きてる人間というものは、(実は死んだ人間でも、だから、つまり)人間というものは、自分でも何をしでかすか分らない、自分とは何物だか、それもてんで知りやしない、人間はせつないものだ、然し、ともかく生きようとする、何とか手探りででも何かましな物を探し縋りついて生きようという、せっぱつまれば全く何をやらかすか、自分ながらたよりない。