ドストエフスキーも借金に追われて馬車馬の如く書きまくり、読者の嗜好に応じてスタヴロオギンの歩き道まで変えて行くという己れを捨てた凝り方だ。
いかにも外的偶然を内的必然と化す能力が天才の作品を生かすものだ。
然しながら、作品に就いて目的を定め計画を案じ熟慮専念する時間がなくとも、少くとも小説作者の場合に於いては、一応人間に通じていることは絶対の条件であり、人間通の裏附は自我の省察で保たれるもの、そして常に一つの作品を書き終ったところから、新らたに出発するものだ。
ドストエフスキーも借金に追われて馬車馬の如く書きまくり、読者の嗜好に応じてスタヴロオギンの歩き道まで変えて行くという己れを捨てた凝り方だ。
いかにも外的偶然を内的必然と化す能力が天才の作品を生かすものだ。
然しながら、作品に就いて目的を定め計画を案じ熟慮専念する時間がなくとも、少くとも小説作者の場合に於いては、一応人間に通じていることは絶対の条件であり、人間通の裏附は自我の省察で保たれるもの、そして常に一つの作品を書き終ったところから、新らたに出発するものだ。