私は谷村の恋よりも、素子の方が何かケタの外れた恋をやりだしそうな予感、あるいは予期がないではなかったが、どうも、私は、このへんで、二、三日、書くのをやめて、ボンヤリ、時間を浪費してみる方がいいのではないかと思う。
私は二十八枚目まで書いた。
思考の振幅が窮屈になりかけたときは、時間でも金でもただ、浪費するのがいいという、これは私が習慣から得た信条で、それに限るようだ。
私は谷村の恋よりも、素子の方が何かケタの外れた恋をやりだしそうな予感、あるいは予期がないではなかったが、どうも、私は、このへんで、二、三日、書くのをやめて、ボンヤリ、時間を浪費してみる方がいいのではないかと思う。
私は二十八枚目まで書いた。
思考の振幅が窮屈になりかけたときは、時間でも金でもただ、浪費するのがいいという、これは私が習慣から得た信条で、それに限るようだ。