ポンと両手を打ち鳴らして、右が鳴ったか左が鳴ったかなどと云って、人生の大真理がそんな所に転がっていると思い、大将軍大政治家大富豪ともならん者はそういう悟りをひらかなければならないなどと、こういうフザけたことが日本文化の第一線に堂々通用しているのである。
西洋流の学問をして実証精神の型が分るとこういう一見フザけたことはすぐ気がつくが、つけ焼刃で、根柢的に日本の幽霊を退治したわけではなく、むしろ年と共に反動的な大幽霊と自ら化して、サビだの幽玄だの益々執念を深めてしまう。
学問の型を形の如くに勉強するが、自分自身というものに就て真実突きとめて生きなければならないという唯一のものが欠けているのだ。