脈絡のない人物や事件を持ち来って棄石のように置きすてて行く、そういうことも意識的に分裂的配分を行う際に必要な方法であろうし、探したならば、そのための色々都合のいい、効果的な、面白い手法を見付けだすこともできると思う。
要するに、事件と事件が各々分裂的で、強いてする組織的脈絡がないということは、一章句が断定的でなく強いて曖昧であることの効果と同じ理由で、それ自体が真実そのものであることを表面の武器としない代りに、真実を掴み損ねた手違いは犯していないというそれ自らとしては消極的な効能ながら、それによって読者の神経に素直に受け入れられることができ、つづいて斯様に分裂的な数個の事情を累積することによって、積極的な真迫力も強め得て、言葉以上に強力な作者の意志を伝えることもできようと思うのである。
蛇足ながら最後に一言つけ加えておくと、私は「真実らしさ」の「らしさ」に最も多くの期待をつなぐものであって、それ自体として真実である世界は、それがすでに一つの停止であり終りであることからも、興味がもてない。