原城の落武者組の手記があると一揆の全貌や天草四郎の人物なども相当ハッキリしたであろうが、遺品はあっても、手記はないようだ。
長崎図書館に南高来郡もしくは高来郡一揆の記という写本があって、これが一揆側の誰かの手になる手記ではないかという説もあるが、そう断定する根拠もない。
しかし、島原半島の庄屋名主たちが会合して、こう課税が重くては生きる瀬がない、いっそ天草の切支丹一揆に合流しようと相談がまとまるテンマツなど、いかにも渦中の人物が涙ながらに書いたような哀れさがあり、一揆側の様子が主として同情的に書かれていることは事実であるが、史料としてどの程度に信頼しうるものやら、私には見当がつかないし、相当文学的の部分もあるようにも思う。