数の観念が欠けているのは昔の日本人の手記の甚しい特徴であるが、四郎の家系を知るについても、年齢や時代については言い合したように無関心で不鮮明なのには困惑せざるを得ないのである。
四郎の父の甚兵衛は小西の旧臣で旧領の宇土に土着浪人したというが、年齢は四十七だの五十五ぐらいのことを書いた通俗書もあったようだ。
四郎の十六という年齢から考えてそう老人ではなさそうだから、その辺の年齢が適当かも知れぬが、小西が亡びたのは一六〇〇年、天草の乱は一六三七年、千軍万馬を往来した古強者というのは当らないようである。