主家滅亡の頃は母と共に留守宅に残っていた子供ではなかろうか。
四郎は小さいとき長崎の支那の小間物を商う店に丁稚奉公して神童と謳われたという説もあるし、父とともに支那の小間物をかついで江戸大阪へ行商していたという説もある。
そのころ、三代将軍家光の死を流布する者があり、しかし幕府瓦解の怖れがあって喪の発表をさしひかえ死をヒタ隠しにしている、というような風聞があった。
主家滅亡の頃は母と共に留守宅に残っていた子供ではなかろうか。
四郎は小さいとき長崎の支那の小間物を商う店に丁稚奉公して神童と謳われたという説もあるし、父とともに支那の小間物をかついで江戸大阪へ行商していたという説もある。
そのころ、三代将軍家光の死を流布する者があり、しかし幕府瓦解の怖れがあって喪の発表をさしひかえ死をヒタ隠しにしている、というような風聞があった。