とにかく、彼の美貌がたとえ童貞マリヤに似ていたところで、天人という知識犬になって後の四郎は、妙に大人の垢にまみれて、威丈高で、熱狂的で、祖師をも食ろうという末世の坊主にも甚だ似ているようにしか考えられぬ。
レシイナと小左衛門が事実に於て私の想定するような思想や目の持ち主ではなかったにしても、天人四郎と対照的にレシイナと小左衛門のような思想や目の持ち主を想定しなくては、どうしても救いのつけようがないのが私の考えである。
そのような正しくて静かな目がともかくいつの世にもいてくれなくては困るであろう。