織田の可能性の文学は、ただ大阪の地盤を利用して、自己の論法を展開する便宜の具としているまでの如くであるけれども、然し、織田の論理の支柱となっている感情は、熱情は、東京に対する大阪であり、織田の反逆でなしに、大阪の反逆、根柢にそういう対立の感情的な低さがある。
それは彼の「可能性の大阪」(新生)の大阪の言葉に於て歴然たるものがあって、ここで彼は大阪の言葉を可能性に於てでなしに、むしろ大阪弁に美を、オルソドックスを信じているから。
芸術は現実の複写ではない、作るべきもの、紙上の幻影(実在)だという。