だがそれは、あくまで文学本来の生命を、それによって広く深く高める意味に於てであり、そのための発散の効果によってのことであって、文学本来のイノチをそれによってむしろ限定し低くするなら意味がない。
坂田八段の端歩は、まさしくハッタリによって芸術自体を限定し低めてしまったバカバカしい例であり、大阪の長所はここに於て逆転し、最大の悪さとなっている。
それは大阪というものの文化的自覚が、真理の場に於て自立したものではなく、東京との対立に於て自立自覚せられているからで、そこに大阪の自覚のぬけがたい二流性が存している。