秋床に就き、東京の病院に翌年三月迄ゐて、郷里に帰つた。
そしてその年の十月二十三日には、不帰の客となつたのだつたが、私は八月初めに帰り、九月八日迄弟の傍にゐた。
死ぬにしてもそんなに早く死ぬとは思つてゐなかつたし、案外癒るのだらうとさへ思つてゐた私は、『尿器をとつてくれ』といふ弟の声が、余りにも弱々しい時には腹さへ立てた。
秋床に就き、東京の病院に翌年三月迄ゐて、郷里に帰つた。
そしてその年の十月二十三日には、不帰の客となつたのだつたが、私は八月初めに帰り、九月八日迄弟の傍にゐた。
死ぬにしてもそんなに早く死ぬとは思つてゐなかつたし、案外癒るのだらうとさへ思つてゐた私は、『尿器をとつてくれ』といふ弟の声が、余りにも弱々しい時には腹さへ立てた。