短歌・俳句は、一詩心の一度の指示、或ひは一度の暗示に終始するが、詩では(根本的にはやはり一篇に就き一度のものだらうとも)それの旋回の可能性を、其処で、事実上旋回すると否とに拘らず用意してゐるものである。
で、これを一と先づ「ゆたりゆたり」と呼ぶことにして、
此のゆたりゆたりが、日猶浅く大衆のものとなつてゐないので、つまり「ああいふものか」とばかり分り易いものとなつてゐないので、大衆は詩に親しみにくいのだし、詩人の方も産出困難なのである。
短歌・俳句は、一詩心の一度の指示、或ひは一度の暗示に終始するが、詩では(根本的にはやはり一篇に就き一度のものだらうとも)それの旋回の可能性を、其処で、事実上旋回すると否とに拘らず用意してゐるものである。
で、これを一と先づ「ゆたりゆたり」と呼ぶことにして、
此のゆたりゆたりが、日猶浅く大衆のものとなつてゐないので、つまり「ああいふものか」とばかり分り易いものとなつてゐないので、大衆は詩に親しみにくいのだし、詩人の方も産出困難なのである。