昭和五六年の頃より、つまり小林秀雄が文壇に現れて間もなくの頃より、文芸評論は頓に盛んになつて、現今猶益々盛んである。
然るにその多くは、文芸評論といふよりも、文芸と一般世間の常識との関係を論じたものといふか、文芸と社会を連関させて論じたものといふか、兎も角文芸自体のことよりも、それと他の物との関係を論じたものである。
これは、河上も云ふ通り、現今の日本にだけ生じてゐる事で、蓋しは文芸の貧困を語るものであらう。
昭和五六年の頃より、つまり小林秀雄が文壇に現れて間もなくの頃より、文芸評論は頓に盛んになつて、現今猶益々盛んである。
然るにその多くは、文芸評論といふよりも、文芸と一般世間の常識との関係を論じたものといふか、文芸と社会を連関させて論じたものといふか、兎も角文芸自体のことよりも、それと他の物との関係を論じたものである。
これは、河上も云ふ通り、現今の日本にだけ生じてゐる事で、蓋しは文芸の貧困を語るものであらう。