これは、河上も云ふ通り、現今の日本にだけ生じてゐる事で、蓋しは文芸の貧困を語るものであらう。
さうした中で、私がこれから書くことなぞは、余りに平和に見えすぎるかとも思ふが、私としては、私の生命の、「身の振り方」を決するために必要欠くべからざる思惟の季節であつたのだし、普通に主観的と考へられる抒情詩ではあるけれど、主観的なものに表現の安定性を与へるためには、客観的なものを扱ふ場合よりも却て一層の客観的能力を要することでもあるから、近頃の論文に慣れた読者の眼が、途中で棄てられないやう希望する。
謂はばその主観的な抒情詩の背後に、如何なる具合に客観的能力が働いてゐるかを示すことこそ、此の小論の主旨でもあるのだ。