斯の如き云ひ方は、余りにも所謂高遠に過ぎると思ふ人もあらうが、その魂の愉悦たるや、日常極く普通な状態に於て、感じられるものであつて、河上の言辞に従へば「虚無の美」であるし、ポオが、「詩の本質は、丁寧にいへば、心の陶酔である情熱からも、精神の糧である真実からも、全く独立したものである(ヨネ・野口訳)」といふ場合の、その「独立したもの」と云ふことも出来る。
だが、神秘を感じて魂の愉悦を覚えるといふことが、私の直観だけのことだとしたら、問題は、何等緊要の事ではなくなるに相違ない。
所で、私はその愉悦たるや、濃淡の差こそあれ、凡ゆる人間に在ると思ふのである。