今言つた道理が、世界の中にどんな具合に駐屯してゐるかといふと、元来思想なるものは物を見て驚き、その驚きが自然に齎らした想ひの統整されたものである筈なのだが、さうして出来た思想は形而上的な言葉にしかならないので、人間といふ社交動物はその形而上的な言葉の内容が、品性の上に現じた場合の言葉にまで置換へたので、そして社交動物らしいそのことが言葉を個人主義者であらしめなくしたので、世界はアナクロニズムに溢つたのだ。
それで例へば欧羅巴の如きレリジョンの確立してゐる所では、それに批評の発達した所では、批評家は個人的に言葉を使用しないで社交的圏を相手に話すので、言葉は専ら比較によつて成立つ品性についての言葉が人の頭に滲みきつて、そのため驚きはその滲みきつた言葉で片附られ勝になるといふことは想像出来るでせう。
――ヴルレエヌも随分いまいふ言葉に禍ひされてるといはれる所もあることを私は思ふ。