云換れば、其の西欧二千年の文献の、そのあれやこれやが、誰かの口によつて少し唱へられさへすれば、人々はその方へドヤドヤと寄り、それを一通り見た頃にはもう飽き飽きしてゐたのである。
其処に、「自分」といふものは甚だ稀薄であり、一種の流行があつたばかりといふも強ち過言ではないのである。
かうした事情は、明治・大正といふ、みるべき批評精神もなく、人は只渉猟に忙しかつた時期に於てさうであり、批評盛んな現今に於て猶さうなのである。
云換れば、其の西欧二千年の文献の、そのあれやこれやが、誰かの口によつて少し唱へられさへすれば、人々はその方へドヤドヤと寄り、それを一通り見た頃にはもう飽き飽きしてゐたのである。
其処に、「自分」といふものは甚だ稀薄であり、一種の流行があつたばかりといふも強ち過言ではないのである。
かうした事情は、明治・大正といふ、みるべき批評精神もなく、人は只渉猟に忙しかつた時期に於てさうであり、批評盛んな現今に於て猶さうなのである。