それに、人間印象があつて観念がないといふことはあるけれど、実際云つて観念があつて印象がないといふことはあり得べからざることであるに鑑み、詩が小説よりも観念寄りといふよりは寧ろ印象寄りの仕事であることからして、詩がもつとよく開拓せられてから小説が関心されに到ることが物の順序でもあつたであらう。
詩が中途にして小説に席を譲るといふことは、常に余りに実利的心情を意味するものである。
それは、印象といふものが、十分に見極められ処理された後でなければ、観念だの理知だのの活動は十分には出来ないし、出来てもそれは、屡々芸術としてではなく出来るのが自然の法則だからであらう。