クラシックはテンポが遅いどころか、「ああした深いことをもう云つてのけたのか」と、君が若しミュジックなるものの存在に耳を触れるに相応しければ当然感ずる次第なのであつたかも知れない。
グリイヒなぞといふ少々案じ込み過ぎてるのはまあ別といふことにするとしても、一音は一音を生みつつ進むバッハを、仮設的対象敷衍の巧奢者ラヴェル輩よりもアマいなぞといふのが音楽界の常識となり得たる今日――否々それを常識と互に心得合つて悦に入るか、それとも交際費用とするかがあられもな、東京中央楽壇の色潮ではある。
それあまあ、昔だつて一般世人は美術家より装飾美術家の方をリアリスティクだと思つてゐたものではあるらしい。