何しろ問題ばかり多くつて解釈は六感的飛躍でやつとけあ結構とあつて、言換ればお道具ばかり沢山あつて朧ろに霞む埃が附いててそれが近代的リュックスなのであつて、その道具のどれでもいいからまあ折々は、嫌さうな顔をして欲しがれば線が太いといふことになるので、何しろ生活といふ生活が脊に腹はかへられぬ範囲以外には出なく、――一方で大人達がさうだと他方女学生達は盛んに、書いた字も読めないくらゐ色どりこまかな封筒でオシタシに舌鼓を打つたのよ、なんてな重要事件を随分忘れてゐられるお友達に出したりしてゐる。
ところで思ひつくまゝに男学生はと見れば「クラシックも夏の夜なんか二階の障子を明けつぱなしてビールでも飲みながら聞いてれや、それやまあ構はないのだが」とか、「あらゆるコンチェルトをヂャズに書換へるべきだね」とか、「ドビュッシイだつて、もう古いさ、雲や水だものねそれよりももつと、我々に近いものがいくらだつてあるさ」とか、「要するに音楽全体は僕は、和音とオーケストレーションにあると思ふね」とか。
等々々々。