その答案の前に履歴書を置き、後に「将来あり」と記しておけば、六十余州に音楽批評の名を辱しめないといふんだから、「人に打解けないやうに」とだけを旨に、倶楽部で駄舌つて就寝前に「欧州だより」と新刊書のカタログを熟読すれば、人間母親の腹を痛めてより墓穴に入るまでの、空の空としてからが生きとし生ける者にとつて全部たる生涯は糊塗されるのである。
尤もその間にはマホービン持つて坊やと郊外散歩をしたこともあれば「あははは、あんなことを云つてらあ……だつてお父さん セルロイドとエボナイトとは違ひますよ」なんて五つ六つの子供に云はれて、「さうかい」なんちつて鼻ピクツカセタこともあつたのである。
何れにしても、要は各人の感性の問題で、「各感性は各感性也」と云はれれば文面上辻褄は合つてもゐようが、「各感性は各進化しつつある」現実の世界は、可動的グラヒカル・リプレゼンテーションとやいふらむか、而して、可動的グラヒカル・リプレゼンテーションは可動的である故に名附け難いので、人類は結局、同好の士、非同好の士と、アダムより我等が子々孫々に至るまで、最後の段階では情意的(気分的、間違へないでね)であり、高遠なる思索家とは、遂に貧血症のことだらうか?