然し新短歌様式を規範的に吟味してみて、私の考へが余り間違つてゐるやうには思はれない。
新短歌のみならずすべて一呼吸詩歌(私は短歌や俳句や新短歌を今仮りにさう呼ぶ)が、その詩歌の中に生活を見出すものでなくて、生活の傍に生ずるものとしてだけ意義を有するものであるといふことを、左にもう少し言添へよう。
何しろ是等三様式は極めて短い詩形であるから、語自体の力が、語を駆使する作者の力よりも存外に大きいものであることは明瞭であらう。
然し新短歌様式を規範的に吟味してみて、私の考へが余り間違つてゐるやうには思はれない。
新短歌のみならずすべて一呼吸詩歌(私は短歌や俳句や新短歌を今仮りにさう呼ぶ)が、その詩歌の中に生活を見出すものでなくて、生活の傍に生ずるものとしてだけ意義を有するものであるといふことを、左にもう少し言添へよう。
何しろ是等三様式は極めて短い詩形であるから、語自体の力が、語を駆使する作者の力よりも存外に大きいものであることは明瞭であらう。