而して新短歌の語句から語句への推移は現に情理的であるよりも感覚的であり、又左様にあることが此の様式に相応ふやうに思へる。
芭蕉は、一物と他物との合体の瞬間に於ける妙といふことを、非常に大切にしたのであるが、そして恐らく此の事こそ俳句の最高眼目たるものでもあらうが、その眼目が射当てられるためには、蓋し情理的であるよりもおのづと感覚的である方が適切であるに相違ない。
――此の点から観ても、新短歌は短歌よりも俳句に近いと云へまいか?
而して新短歌の語句から語句への推移は現に情理的であるよりも感覚的であり、又左様にあることが此の様式に相応ふやうに思へる。
芭蕉は、一物と他物との合体の瞬間に於ける妙といふことを、非常に大切にしたのであるが、そして恐らく此の事こそ俳句の最高眼目たるものでもあらうが、その眼目が射当てられるためには、蓋し情理的であるよりもおのづと感覚的である方が適切であるに相違ない。
――此の点から観ても、新短歌は短歌よりも俳句に近いと云へまいか?