姿のない作品といふやうなものが充満してゐて、身動きも出来ない有様である。
フォルムのない競技で以て、徒らに勝たうとばかりしてゐるやうなもので、仮令勝てたにしても、競技そのものを楽しむ気持はなく、勝つた時に熱病的に嬉しいだけで、十年の後に回想したらば、なんといふこともなかつたと、呆然としなければならない始末だらう。
つまり、ドヤドヤと現れた西洋文学は、そのフォルムを迄了得する余裕を我々に与へなかつたのである。
姿のない作品といふやうなものが充満してゐて、身動きも出来ない有様である。
フォルムのない競技で以て、徒らに勝たうとばかりしてゐるやうなもので、仮令勝てたにしても、競技そのものを楽しむ気持はなく、勝つた時に熱病的に嬉しいだけで、十年の後に回想したらば、なんといふこともなかつたと、呆然としなければならない始末だらう。
つまり、ドヤドヤと現れた西洋文学は、そのフォルムを迄了得する余裕を我々に与へなかつたのである。