蘇武と別れた後の李陵については、何一つ正確な記録は残されていない。
元平元年に胡地で死んだということのほかは。
すでに早く、彼と親しかった狐鹿姑単于は死に、その子壺衍鞮単于の代となっていたが、その即位にからんで左賢王、右谷蠡王の内紛があり、閼氏や衛律らと対抗して李陵も心ならずも、その紛争にまきこまれたろうことは想像に難くない。
蘇武と別れた後の李陵については、何一つ正確な記録は残されていない。
元平元年に胡地で死んだということのほかは。
すでに早く、彼と親しかった狐鹿姑単于は死に、その子壺衍鞮単于の代となっていたが、その即位にからんで左賢王、右谷蠡王の内紛があり、閼氏や衛律らと対抗して李陵も心ならずも、その紛争にまきこまれたろうことは想像に難くない。