もちろん、夫子の云われる所は九分九厘まで常に謬り無き真理だと思う。
また夫子の行われる所は九分九厘まで我々の誰もが取ってもって範とすべきものだ。
にもかかわらず、残りの一厘――絶対に人に信頼を起させる夫子の弁舌の中の・わずか百分の一が、時に、夫子の性格の(その性格の中の・絶対普遍的な真理と必ずしも一致しない極少部分の)弁明に用いられる惧れがある。
もちろん、夫子の云われる所は九分九厘まで常に謬り無き真理だと思う。
また夫子の行われる所は九分九厘まで我々の誰もが取ってもって範とすべきものだ。
にもかかわらず、残りの一厘――絶対に人に信頼を起させる夫子の弁舌の中の・わずか百分の一が、時に、夫子の性格の(その性格の中の・絶対普遍的な真理と必ずしも一致しない極少部分の)弁明に用いられる惧れがある。