しかも、彼が記憶力や解釈的思索力(つまり東洋的悟性)において異常に優れており、かつ、その気質は最後まで、我儘な、だが没利害的な純粋を保っており、また、その気魄の烈しさが遥かに常人を超えていたことが一層彼を悲惨に見せるのである。
それは、東洋がいまだ近代の侵害を受ける以前の、或る一つのすぐれた精神の型の博物館的標本である。
(このような批判を心の中に繰返しながら、三造は、こう考えている自分自身の物の見方が、あまりに生温い古臭いものであることに思い及ばないわけには行かなかった。
しかも、彼が記憶力や解釈的思索力(つまり東洋的悟性)において異常に優れており、かつ、その気質は最後まで、我儘な、だが没利害的な純粋を保っており、また、その気魄の烈しさが遥かに常人を超えていたことが一層彼を悲惨に見せるのである。
それは、東洋がいまだ近代の侵害を受ける以前の、或る一つのすぐれた精神の型の博物館的標本である。
(このような批判を心の中に繰返しながら、三造は、こう考えている自分自身の物の見方が、あまりに生温い古臭いものであることに思い及ばないわけには行かなかった。