私はそれからの二、三年間は、人から言われる度に、ただその紙袋の中から、一篇ずつ取り出して与えると、それでよかった。
昭和八年、私が二十五歳の時に、その「海豹」という同人雑誌の創刊号に発表した「魚服記」という十八枚の短篇小説は、私の作家生活の出発になったのであるが、それが意外の反響を呼んだので、それまで私の津軽訛りの泥臭い文章をていねいに直して下さっていた井伏さんは驚き、「そんな、評判なんかになる筈は無いんだがね。
いい気になっちゃいけないよ、何かの間違いかもわからない。
私はそれからの二、三年間は、人から言われる度に、ただその紙袋の中から、一篇ずつ取り出して与えると、それでよかった。
昭和八年、私が二十五歳の時に、その「海豹」という同人雑誌の創刊号に発表した「魚服記」という十八枚の短篇小説は、私の作家生活の出発になったのであるが、それが意外の反響を呼んだので、それまで私の津軽訛りの泥臭い文章をていねいに直して下さっていた井伏さんは驚き、「そんな、評判なんかになる筈は無いんだがね。
いい気になっちゃいけないよ、何かの間違いかもわからない。