これ老生の近辺に住む老画伯にして、三十年続けて官展に油画を搬入し、三十年続けて落選し、しかもその官展に反旗をひるがえす程の意気もなく、鞠躬如として審査の諸先生に松蕈などを贈るとかの噂も有之、その甲斐もなく三十年連続の落選という何の取りどころも無き奇態の人物に御座候えども、父祖伝来のかなりの財産を後生大事に守り居る様子にて、しかしながら人間の価値その財産に依って決定せらるべきものならば老生は只今、割腹し果申すべし、杉田老画伯の如きは孫の数人もありながら赤き襟飾など致して、へんに風態を若々しく装い、以て老生を常日頃より牽制せんとする意図極めてあらわに見え申候。
これまた笑止千万の事にて、美々しき服装、われに於いて何のうらやましき事も無之、全く黙殺し去らんと心掛申候えども、この人物は身のたけ六尺、顔面は赤銅色に輝き腕の太さは松の大木の如く、近所の質屋の猛犬を蹴殺したとかの噂も仄聞致し居り、甚だ薄気味わるく御座候えば、老生はこの人物に対しては露骨に軽侮の色を示さず、常に技巧的なる笑いを以て御挨拶申上げ居り候。
しかるに今この怪人物、ぬっと屋台店に這入り来り、やあ老人、やってるな、と叫び候。