廿七日、丁巳、和田左衛門尉義盛、上総の国司所望の事、内々御計の事有り、暫く左右を待ち奉る可きの由仰を蒙り、殊に抃悦すと云々。
下々の口さがない人たちは、やれ尼御台が専横の、執権相模守義時が陰険のと騒ぎ立ててゐた事もあつたやうでございますが、私たちの見たところでは、尼御台さまも相州さまも、それこそ竹を割つたやうなさつぱりした御気性のお方でした。
づけづけ思ふとほりの事をおつしやつて、裏も表も何もなく、さうして後はからりとして、目下のものを叱りながらもめんだうを見て下さつてさうして恩に着せるやうな勿体を附ける事もなく、あれは北条家にお生れになつたお方たちの特徴かも知れませぬが、御性格にコツンと固い几帳面なところがございまして、むだな事は大のおきらひ、隅々までお目がとどいて、そんなところだけは、ふざけたい盛りの当時の私たちにとつて、ちよつとけむつたいところでございました。