その日、尼御台さまと、よもやまのお話のついでに、ふいとその事にお触れなさつたのでございますが、尼御台さまは、将軍家のそのやうなお心もちやんとお察しになつて居られたらしく、微笑んで、いいえ、やつぱりいけませぬ、故右大将の御時、すでに侍の受領は許さぬ方針に決して居りますから、と故右大将家の御先例をおだやかにお聞かせ申されたところが、将軍家には幾度もまじめに御首肯なされて、それから尼御台さまにあらたまつて御礼を申して居られました。
「いいえ、しかし、」尼御台さまには、そのやうに素直な将軍家を、おいとしくてならぬのでございませう、将軍家のお気をお引きたてなさるやうに殊更に高くお笑ひになつて、「御父君は御父君、和子には和子の流儀もあらうに、ま、それからさきは女子の差出口など無用になされ。
とおつしやいましたが、これがなんであの、御争論なものか、お二人お力を合せて故右大将家の御先例をさぐり、之に違ふこと無からんやうにお心を用ゐさせられ、ひたすら御善政にお努めになつて居られる証拠にこそはなれ、お仲がまづくなつてそのために将軍家の厭世のもとなど、なんといふたはけたせんさく、いや、つい興奮のあまり口汚くなりまして恥づかしうございますが、一事が万事、相州さまとのお仲も、俗世間の取沙汰のやうに、へんな重苦しい険悪なところなど少しも私には見受けられませんでした。