とにかく、あの長明入道さまにしても、六十ちかい老齢を以て京の草庵からわざわざあづまの鎌倉までまかり越したといふのには、何かよほどの御決意のひそんでゐなければなりませぬところで、この捨てた憂き世に、けれどもたつたお一人、お逢ひしたいお方がある、もうそのお方は最後の望みの綱といふやうなお気持で、将軍家にお目にかかりにやつて来られたらしいといふのは、私どもにも察しのつく事でございますが、けれども、永く鎌倉に御滞在もなさらず、故右大将さまの御堂で涙をお流しになつたりなどして、早々に帰洛なされ、すぐさま「方丈記」といふ一代の名作とやらを書き上げられ、それから四年目になくなられた、といふ経緯には、いづれその道の名人達人にのみ解し得る機微の事情もあつたのでございませう。
不風流の私たちの野暮な詮議は、まあこれくらゐのところで、やめた方がよささうに思はれます。
鴨の長明入道さまの事ばかり、ついながながと申し上げてしまひましたが、あの小さくて貧相な、きよとんとなされて居られた御老人の事は、私どもにとつても奇妙に思ひ出が色濃く、生涯忘れられぬお方のひとりになりまして、しかもそれは、私たちばかりではなく、もつたいなくも将軍家に於いてまで、あの御老人にお逢ひになつてから、或いは之は私の愚かな気の迷ひかも知れませぬが、何だか少し、ほんの少し、お変りになつたやうに、私には見受けられてなりませんでした。