厩戸の皇子さまに対する御心酔振りには、また他にいろいろと御理由もございました事と存じますが、もともと御皇室のお方々に対しては、誰から教へられるともなく謂はば自然の御本能に依り恭謙の赤心をお持ちになつて居られましたお方で、仙洞御所への絶対の御心服のほども、事あるごとにいよいよ歴然としてまゐりまして、そのとしも御朝廷からの御言ひ附けにより京の賀茂川堤の修築に取りかかりましたが、七月に幕府のその賦役の割当に就いてごたごたが起り、そのとき御朝廷のはうで新しく割当を定められ、それを幕府にお示しになりましたところ、こんどはその新しい割当に対して、これでは幕府のはうが非常な難儀な事になる、とただもう幕府大事の相州さまなど御ところへまゐつて苦情を申し上げる始末で、またもや紛糾しかけた時に、俗にいふ鶴の一声とでも申すものでございませうか、
叡慮ハ是非ヲ越エタモノデス
一座はしんとなりました。