ただもう幕府大事であくせくしてゐるあの相州さまなど、少しは将軍家を見習ひ、この御皇室の洪大の御恩徳の端にでも浴するやうに心掛けてゐたならば、後のさまざまの悲惨も起らずにすんだのでございませうが、そこは将軍家と根本から違つて、胆力もあり手腕もあり押しも押されもせぬ大政治家でございましたのに、御自身御一家の利害のみを考へ、高潔の献身を知らぬお方でございましたので、次第に人から憎まれるやうになり、つひには御自分から下品の御本性を暴露なさるやうにさへなりました。
このとしの二月にも信濃国の住人、泉小次郎親平といふ人が、相州さまを憎んで亡きものにしようと内々謀逆を企ててゐたのが、未然に露顕して鎌倉中が大騒動になつたといふ事件がございました。
この泉小次郎親平といふ人は、前将軍左金吾禅室さまの三男若君、千寿さまを大将軍に擁立して、いまは時を得顔の北条一族を殲滅せんとの大陰謀を企て、建暦元年頃よりひそかに同志を募つて居りましたのださうで、直接、当将軍家に対しては逆意がなかつたやうでございますが、何せそのお傍に控へて権力を振ふ相州さまが憎くて、それにまたこの泉親平に劣らず、かねてより相州さまをこころよからず思つてゐた御家人もなかなか多かつた様子で、たちまち同志がふえて一大勢力になりかけた時、二月十五日、千葉介成胤さまが、安念坊といふ挙動あやしき法師を捕へて、相州さまのお手許に差し出しました。