これが大陰謀露顕の端緒で、その安念坊といふ法師は、謀逆の遊説使のやうなものでございましたさうですから、大いにその法師は責めたてられ、つひにその自白に依り、同志百三十余人、伴類二百人ことごとく召しとられ、相州さまの下知で、ただちに断罪あるいは流罪に処せられた様子でございますが、叛逆の張本人たる泉小次郎親平だけは、いづかたへともなく逃れ去つておしまひになつたさうで、相当の豪傑でしかも機敏のお方だつたらしく思はれます。
将軍家に於いては、この異変をお耳になさつても別にお驚きになるやうな御様子も無く、ずつと以前からご存じのやうなお落ちつき振りで、ただその、泉親平といふ人の氏素性をずいぶんこまかにお尋ねになつて居られました。
反徒たちに対してお怒りになつて居られるやうな御様子も見受けられず、反徒のひとり、薗田七郎成朝といふ人が召しとられて北条三郎時綱さまのお宅に預けられてゐたのを、まんまと脱走して、知人の敬音とかいふお坊さんのところへ行き、そのお坊さんが成朝に出家をすすめたところが、冗談言つてはこまる、私はこれからまた出直して大いに出世をするんだ、と放言して酒をのんで、それではまた、と言ひ残して行方知れずになつたとか、二、三日後にその坊さんは召し出されて、逐一その夜のことを陳述いたしましたが、あとで将軍家はそれをお聞きになつて声を立ててお笑ひになり、それは感心なこころがけだ、早くその者を見つけ出してゆるしておやりなさい、とおつしやつたのでございます。