三月大。
九日、庚戌、晴、義盛今日又御所に参ず、一族九十八人を引率して南庭に列座す、是囚人胤長を厚免せらる可きの由、申請ふに依りてなり、広元朝臣申次たり、而るに彼の胤長は、今度の張本として、殊に計略を廻らすの旨、聞食すの間、御許容に能はず、即ち行親、忠家等の手より、山城判官行村の方に召渡さる、重ねて禁遏を加ふ可きの由、相州御旨を伝へらる、此間、胤長の身を面縛し、一族の座前を渡し、行村に之を請取らしむ、義盛の逆心職として之に由ると云々。
十七日、戊午、陰、和田平太胤長、陸奥国岩瀬郡に配流せらると云々。