相通ふとは申しても、もちろんその間には天地以上の絶対の御距離があり、このやうな事はすべて愚かな私どもの子供じみた夢に過ぎないのでございまして、厩戸の皇子さまもやはり御幼少の頃から御政務の御手助けをなされて居られた御様子で、まあそれ故にこそ故右大臣さまも、いつそう皇子さまをお慕ひなされたのでございませうが、共に崇仏の念篤く、また皇子さまのお傍には蘇我馬子といふけしからぬ大臣が居られたやうに、故右大臣さまには、相州さまといふ暗いお方が控へて居りまして、馬子といひ、またあの承久年間の相州さまといひ、まことに日本国はじまつて以来の二のみ三無き大悪事を行ひ、しかもその政治上の手腕はあなどりがたく、わけなく之をしりぞける事も出来なかつたといふところなど、いづれも、ほんの偶然の事にちがひないとは万々承知いたしながら、その、わづかに一小部分の相通ふ匂ひだけでも、あの私どものお可哀さうな右大臣さまへの、お手向の花としたいと思ふ無智な家来の一すぢの追慕の念を、どうぞお見のがし下さいまし。
厩戸の皇子さまの御事は真におそれおほく、ただ烈日を仰ぐが如く眼つぶれる思ひにて、いかなる推察も叶ふものではございませぬが、故右大臣さまの場合だけを申し上げるならば、京都の御所に対してはあれほどの御赤心、また幕府の御政務に対してはあれほどの御英才と御手腕をお示しになりながら、あの承久の大悪事を犯すに至つた相州さまを、なぜ早くよりよろしく御教導出来なかつたかと、これも私どもの、慾の深すぎる話にきまつて居りますけれども、それだけがたつた一つの無念のところでございます。
御政務に於いても、以前は、相州さまであらうが何であらうが、それが間違つて居りますならば、ひどく手きびしくはねつけたものでごさいましたが、この和田さまの事件あたりから、さすがの将軍家も、時々、とても、もの憂さうな御様子をお見せになりまして、