身の丈も将軍家よりは、はるかにお高く、花やかなお顔立ちで色も白く、まことに源家嫡流の御若君に恥ぢぬ御容儀と拝されましたが、けれども、御幼少の頃からのあの卑しく含羞むやうな、めめしい笑顔はもとのままで、どこやら御軽薄でたより無く、赤すぎるお口元にも、またお眼の光にも、不潔なみだらなものさへ感ぜられ、将軍家の純一なおつとりした御態度に較べると、やつぱり天性のお位に於いて格段の相違があるやうに私たちには見受けられました。
その日も禅師さまは、御奥の人たち皆に、みつともないほどの叮嚀なお辞儀をなされて、さうして将軍家に対してはさらに見るに忍びぬくらゐの過度のおあいそ笑ひをお頬に浮べて御挨拶を申し、将軍家はただ黙つて首肯いて居られまして、京から下著の人にはたいてい京の御話を御所望なされ、それが将軍家の何よりのお楽しみの御様子でございましたのに、この時、公暁禅師さまにはなんのお尋ねもなく、そのうへ少しお顔色がお曇りになつて居られるやうにさへ拝されました。
ふいとそのとき思ひましたのでございますが、将軍家は、この卑しいつくり笑ひをなさる禅師さまをひどくお嫌ひなのではなからうか、滅多に人を毛嫌ひなさらず、どんな人をも一様においつくしみなされてまゐりました将軍家が、この公暁禅師さまの事になると奇妙に御不快の色をお示しになり、六年前に、禅師さまが御落飾の御挨拶にお見えになつた時にも、将軍家は終始鬱々として居られたし、それから後も御前に於いてこの禅師さまのお噂が出ると急に座をお立ちになつたり、何かお心にこだはる事でもございますやうな御様子で、その日も禅師さまが、おどおどして、きまりわるげなお態度をなさればなさるほど、いよいよ将軍家のお顔色は暗く、不機嫌におなりのやうに拝されましたので、これはひよつとしたら将軍家はこの禅師さまをかねがね、あきたらず思召しなされて居られるのではなからうかと、私も当時二十一歳にもなつて居りまして、まあ身のほど知らずの生意気なとしごろでもございますから、そのやうな推参な事まで考へたやうな次第でございました。