むかし讃岐の国、高松に丸亀屋とて両替屋を営み四国に名高い歴々の大長者、その一子に才兵衛とて生れ落ちた時から骨太く眼玉はぎょろりとしてただならぬ風貌の男児があったが、三歳にして手足の筋骨いやに節くれだち、無心に物差しを振り上げ飼猫の頭をこつんと打ったら、猫は声も立てずに絶命し、乳母は驚き猫の死骸を取上げて見たら、その頭の骨が微塵に打ち砕かれているので、ぞっとして、おひまを乞い、六歳の時にはもう近所の子供たちの餓鬼大将で、裏の草原につながれてある子牛を抱きすくめて頭の上に載せその辺を歩きまわって見せて、遊び仲間を戦慄させ、それから毎日のように、その子牛をおもちゃにして遊んで、次第に牛は大きくなっても、はじめからかつぎ慣れているものだから何の仔細もなく四肢をつかまえて眼より高く差し上げ、いよいよ牛は大きくなり、才兵衛九つになった頃には、その牛も、ゆったりと車を引くほどの大黒牛になったが、それでも才兵衛はおそれず抱きかかえて、ひとりで大笑いすれば、遊び友達はいまは全く薄気味わるくなり、誰も才兵衛と遊ぶ者がなくなって、才兵衛はひとり裏山に登って杉の大木を引抜き、牛よりも大きい岩を崖の上から蹴落して、つまらなそうにして遊んでいた。
十五、六の時にはもう頬に髯も生えて三十くらいに見え、へんに重々しく分別ありげな面構えをして、すこしも可愛いところがなく、その頃、讃岐に角力がはやり、大関には天竺仁太夫つづいて鬼石、黒駒、大浪、いかずち、白滝、青鮫など、いずれも一癖ありげな名前をつけて、里の牛飼、山家の柴男、または上方から落ちて来た本職の角力取りなど、四十八手に皮をすりむき骨を砕き、無用の大怪我ばかりして、またこの道にも特別の興ありと見えて、やめられず椴子のまわしなどして時々ゆるんでまわしがずり落ちてもにこりとも笑わず、上手がどうしたの下手がどうしたの足癖がどうしたのと、何の事やらこの世の大事の如く騒いで汗も拭かず矢鱈にもみ合って、稼業も忘れ、家へ帰ると、人一倍大めしをくらって死んだようにぐたりと寝てしまう。
かねて力自慢の才兵衛、どうして之を傍観し得べき。