この唄に出て来る万屋というのは、美作の国で蔵合につづく大金持、当主一代のうちに溜め込んだ金銀、何万両、何千貫とも見当つかず、しかも蔵合の如く堂々たる城郭を構える事なく、近隣の左官屋、炭屋、紙屋の家と少しも変らず軒の低い古ぼけた住居で、あるじは毎朝早く家の前の道路を掃除して馬糞や紐や板切れを拾い集めてむだには捨てず、世には何染、何縞がはやろうと着物は無地の手織木綿一つと定め、元日にも聟入の時に仕立てた麻袴を五十年このかた着用して礼廻りに歩き、夏にはふんどし一つの姿で浴衣を大事そうに首に巻いて近所へもらい風呂に出かけ、初生の茄子一つは二文、二つは三文と近在の百姓が売りに来れば、初物食って七十五日の永生きと皆々三文出して二つ買うのを、あるじの分別はさすがに非凡で、二文を出して一つ買い、これを食べて七十五日の永生きを願って、あとの一文にて、茄子の出盛りを待ちもっと大きいのをたくさん買いましょうという抜け目のない算用、金銀は殖えるばかりで、まさに、それこそ「暗闇に鬼」の如き根強き身代、きらいなものは酒色の二つ、「下戸ならぬこそ」とか「色好まざらむ男は」とか書き残した法師を憎む事しきりにて、おのれ、いま生きていたら、訴訟をしても、ただは置かぬ、と十三歳の息子の読みかけの徒然草を取り上げてばりばり破り、捨てずに紙の皺をのばして細長く切り、紙小縒を作って五十組の羽織紐を素早く器用に編んで引出しに仕舞い、これは一家の者以後十年間の普段の羽織紐、息子の名は吉太郎というが、かねてその色白くなよなよしたからだつきが気にくわず、十四歳の時、やわらかい鼻紙を懐に入れているのを見て、末の見込み無しと即座に勘当を言い渡し、播州には那波屋殿という倹約の大長者がいるから、よそながらそれを見ならって性根をかえよ、と一滴の涙もなく憎々しく言い切って、播州の網干というところにいるその子の乳母の家に追い遣り、その後、あるじの妹の一子を家にいれて二十五、六まで手代同様にしてこき使い、ひそかにその働き振りを見るに、その仕末のよろしき事、すりきれた草履の藁は、畑のこやしになるとて手許にたくわえ、ついでの人にたのんで田舎の親元へ送ってやる程の珍らしい心掛けの若者であったから、大いに気にいり、これを養子にして家を渡し、さて、嫁はどんなのがいいかと聞かれて、その養子の答えるには、嫁をもらっても、私だとて木石ではなし、三十四十になってからふっと浮気をするかも知れない、いや、人間その方面の事はわからぬものです、その時、女房が亭主に気弱く負けていたら、この道楽はやめがたい、私はそんな時の用心に、気違いみたいなやきもち焼きの女房をもらって置きたい、亭主が浮気をしたら出刃庖丁でも振りまわすくらいの悋気の強い女房ならば、私の生涯も安全、この万屋の財産も万歳だろうと思います、という事だったので、あるじは膝を打ち眼を細くして喜び、早速四方に手をまわして、その父親が九十の祖母とすこし長話をしても、いやらし、やめよ、と顔色を変え眼を吊り上げ立ちはだかってわめき散らすという願ったり叶ったりの十六のへんな娘を見つけて、これを養子の嫁に迎え、自分ら夫婦は隠居して、家の金銀のこらず養子に心置きなくゆずり渡した。
この養子、世に珍らしく仕末の生れつきながら、量り知られぬおびただしき金銀をにわかにわがものにして、さすがに上気し、四十はおろか三十にもならぬうちに、つき合いと称して少し茶屋酒をたしなみ、がらにもなく髪を撫でつけ、足袋、草履など吟味しはじめたので、女房たちまち顔色を変え眼を吊り上げ、向う三軒両隣りの家の障子が破れるほどの大声を挙げ、
「あれあれ、いやらし。