十日目に一文、二十日経って一文、川の柳の葉は一枚残らず散り落ち、川の水は枯れて蕭々たる冬の河原となり、浅田は黙々として鍬をふるって砂利を掘り起し、出て来るものは銭にはあらで、割れ鍋、古釘、欠け茶碗、それら廃品がむなしく河原に山と積まれ、心得顔した婆がよちよち河原へ降りて来て、わしはいつぞやこの辺に、かんざしを一つ落したが、それはまだ出て来ませんか、と監視の下役人に尋ね、いつごろ落したのだと聞かれて、はっきりしませんが、わしがお嫁入りして間もなくの事だったから、六、七十年にもなりましょうか、と言って役人に叱られ、滑川もいつしか人に裸川と呼ばれて鎌倉名物の一つに数え上げられるようになった頃、すなわち九十七日目に、川筋三百間、鍬打ち込まぬ方寸の土も無くものの見事に掘り返し、やっと銭九文を拾い集めて青砥と再び対面した。
「下郎、思い知ったか。
と言われて浅田は、おそるるところなく、こうべを挙げて、