この方丈の庵も、すぐ近くの栗林の番小屋であったのを、私が少からぬ家賃で借りて、庵の裏の五坪ばかりの畑だけが、まあ、わずかに私の自由になるくらいのもので、野菜も買うとなるとなかなか高いので、大根人蔘の種を安くゆずってもらってこの裏の五坪の畑に播き、まことに興覚めな話で恐縮ですが、出家も尻端折りで肥柄杓を振りまわさなければならぬ事もあり、その収穫は冬に備えて、縁の下に大きい穴を掘って埋めて置かなければならず、目前に一目千本の樹海を見ながら、薪はやっぱり里人から買わないと、いやな顔をされるし、ここへ来てにわかに浮世の辛酸を嘗め、何のための遁世やら、さっぱりわけがわからなくなりました。
遁世してこのようにお金がかかるものとは思いも寄らず、そんなにお金も持って来ませんでしたので、そろそろ懐中も心細くなり、何度下山を思い立ったかわかりません。
けれども、一旦、濁世を捨てた法師が、またのこのこ濁世の親御の家へ帰って泣いておわびをするなどは古今に例の無い事のようにも思われますし、これでも、私にはまだ少し恥を知る気持も意地もあり、また、ここを立ちのくにしても、里人への諸支払いがだいぶたまって居りますし、いま借りて使っている夜具や炊事道具を返すに当ってもまた金銭のややこしい問題が起るのではなかろうかと思えば、下山の決心もにぶります。