それにひどい暑さで、妻のはだけた胸に抱き込まれている二歳の男の子は、ひいひい泣き通しでした。
この下の子は、母体の栄養不良のために生れた時から弱く小さく、また母乳不足のためにその後の発育も思わしくなくて、ただもう生きて動いているだけという感じで、また上の五歳の女の子は、からだは割合丈夫でしたが、甲府で罹災する少し前から結膜炎を患い、空襲当時はまったく眼が見えなくなって、私はそれを背負って焔の雨の下を逃げまわり、焼け残った病院を捜して手当を受け、三週間ほど甲府でまごまごして、やっとこの子の眼があいたので、私たちもこの子を連れて甲府を出発する事が出来たというわけなのでした。
それでも、やはり夕方になると、この子の眼がふさがってしまって、そうして朝になっても眼がひらかず、私は医者からもらって来た硼酸水でその眼を洗ってやって、それから眼薬をさして、それからしばらく経たなければ眼があかないという有様でした。