つまりこれは、岩城といふ字を、「いはき」と読んだり「いはしろ」と読んだりして、ごちやまぜになつて、たうとう津軽の岩木山がその伝説を引受ける事になつたのではないかと思はれる。
しかし、昔の津軽の人たちは、安寿厨子王が津軽の子供である事を堅く信じ、につくき山椒大夫を呪ふあまりに、丹後の人が入込めば津軽の天候が悪化するとまで思ひつめてゐたとは、私たち安寿厨子王の同情者にとつては、痛快でない事もないのである。
外ヶ浜の昔噺は、これ位にしてやめて、さて、私たちのバスはお昼頃、Mさんのゐる今別に着いた。
つまりこれは、岩城といふ字を、「いはき」と読んだり「いはしろ」と読んだりして、ごちやまぜになつて、たうとう津軽の岩木山がその伝説を引受ける事になつたのではないかと思はれる。
しかし、昔の津軽の人たちは、安寿厨子王が津軽の子供である事を堅く信じ、につくき山椒大夫を呪ふあまりに、丹後の人が入込めば津軽の天候が悪化するとまで思ひつめてゐたとは、私たち安寿厨子王の同情者にとつては、痛快でない事もないのである。
外ヶ浜の昔噺は、これ位にしてやめて、さて、私たちのバスはお昼頃、Mさんのゐる今別に着いた。