そのうち特に著しいのは聖武天皇の天平十八年(一四〇六年)及び光仁天皇の宝亀二年(一四三一年)の如く渤海人千余人、つぎに三百余人の多人数が、それぞれ今の秋田地方に来着した事実で、満洲地方と交通が頗る自由に行はれたのは想像し難くない。
秋田附近から五銖銭が出土したことがあり、東北には漢文帝武帝を祀つた神社があつたらしいのは、いづれも直接の交通が大陸とこの地方との間に行はれたことを推測せしめる。
今昔物語に、安倍頼時が満洲に渡つて見聞したことを載せたのは、これらの考古学及び土俗学上の資料と併せ考へて、決して一場の説話として捨てるべきものでない。