田村麻呂、頼義、義家などの武将が、これを緩服するに頗る困難であつたのも、敵手が単に無智なるがために精悍なる台湾生蕃の如き土族でなかつたと考へて、はじめて氷解するのである。
さうして、小川博士は、大和朝廷の大官たちが、しばしば蝦夷、東人、毛人などと名乗つたのは、一つには、奥羽地方人の勇猛、またはその異国的なハイカラな情緒にあやかりたいといふ意味もあつたのではなからうかと考へてみるのも面白いではないか、といふやうな事も言ひ添へてゐる。
かうして見ると、津軽人の祖先も、本州の北端で、決してただうろうろしてゐたわけでは無かつたやうでもあるが、けれども、中央の歴史には、どういふものか、さつぱり出て来ない。