また、竹内運平氏もその事に就いて次のやうに述べてゐる。
「南部家と津軽家とは江戸時代を通じ、著しく感情の疎隔を有しつつ終始した。
右の原因は、南部氏が津軽家を以て祖先の敵であり旧領を押領せるものと見做す事、及び津軽家はもと南部の一族であり、被官の地位にあつたのに其主に背いたと称し、また一方、津軽家にては、わが遠祖は藤原氏であり、中世に於いても近衛家の血統の加はれるものである、と主張する事等から起つて居るらしい。
また、竹内運平氏もその事に就いて次のやうに述べてゐる。
「南部家と津軽家とは江戸時代を通じ、著しく感情の疎隔を有しつつ終始した。
右の原因は、南部氏が津軽家を以て祖先の敵であり旧領を押領せるものと見做す事、及び津軽家はもと南部の一族であり、被官の地位にあつたのに其主に背いたと称し、また一方、津軽家にては、わが遠祖は藤原氏であり、中世に於いても近衛家の血統の加はれるものである、と主張する事等から起つて居るらしい。